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「髪のびの井戸」のいわれ

この古井戸は萱生城跡に遺された井戸の一つで通称 「髪のびの井戸」 といわれているものです。1571(元亀2)年の5月に始まった伊勢長島一向一揆鎮圧に先だって、1568(永祿11)年に織田軍勢の先鋒隊として派遣された豊臣秀吉、瀧川左近の連合軍により萱生城を攻撃されました。

当時の城主は北勢三家衆(土豪)の勢力頭として、土豪の大矢知経頼、伊坂春日部太郎右衛門などを従えて活躍した春日部俊家でしたが、中村地内(暁学園寮(現在は寮を取り壊し更地になっている)南の丘陵)に対峙した連合軍を向こうにまわして5年もの間奮戦しました。しかし兵糧もつき、手負いの将兵の傷も癒えるまもないまま、1573(天正元)年の総攻撃により火災をおこし、北勢一の要塞の地も灰燼に帰しました。

炎渦まく中に女人衆の多くは落延びようともせず吾身を投じ城と運命をともにしたのです。それ以来いつからともなく、この古井戸に姿を映す人は髪がのびると語り伝えられるようになりました。また、霧深い夕暮れ時など怨念こもる火玉状の白煙が霧に映えることもあった、とかいわれております。

今日近代的な白亜の学舎が立つこの城山で、往時を偲ぶことのできる所はこの古井戸のみでありますが、この辺りに運ばれる風音の中に乱世に生きた女人衆たちの悲運の嘆きが、ふと聞こえるのではないでしょうか。

式内社能原神社由緒、勢陽雑記拾遺